小児外科医から見たモバイルクリニック
2018年5月16日に、ニャンカンガでの巡回診療に同行させていただきました、小児外科医の矢田圭吾と申します。以下、活動報告をさせていただきます。
高校2年の時に、地元の英語塾で出会った「ユニセフ50年の歩み」という英語教材を見て、小児国際医療協力を志してから約20年。ようやく念願叶って、アフリカザンビアの地に足を踏み入れることができた。地元の国際協力団体TICOの一員として、首都ルサカにあるザンビア大学小児外科を訪れたのだ。
ザンビア大学小児外科は、1983年に日本の支援で建設された小児外科専用の手術室で、国内最多の年間2000例の手術を行っている。「ドクター、この建物は、日本が建ててくれたんだよ!見て、このサンヨーの医療用冷蔵庫なんか、35年間ずっと動いてるよ。日本製って本当に素晴らしいね!」何万人もの子供達の命を救ってきた手術室が、日本の支援で作られたと聞くと、本当に誇らしい気持ちになる。
しかしながら、助かる命もあれば、助からない命もあるのが現状だ。ザンビア大学小児外科の救命率は、日本のそれと比べると明らかに低いと言わざるをえない。もちろん、設備・器材・技術的な面が原因であることも否めないが、その患者さんたちの多くは、病院にたどり着くのが遅いのだ。その代表的な疾患のうちの1つに小児腸重積症がある。これは種々の原因により、腸が腸の中にはまり込んで重積する病気で、日本であれば、問診・診察・エコー検査で比較的早期に発見され、高圧浣腸等で、手術をせずに治療できることがほとんどである。しかし、ザンビアでは、病院にたどりつく頃には既に長時間が経過していることが多く、ほぼ100%に手術が必要になる。重積した腸を切除し、口側の腸を人工肛門にする必要があることも多く、時に亡くなることまでもある。
ザンビア大学小児外科の外来で、紹介状を持って長蛇の列をなしている患者さん・親御さんたちは、いかにしてここにたどり着くのか。彼らのために、何か少しでも自分がしてあげられることはないか。その答えの1つが、山元先生のモバイルクリニックに参加することだった。
2018年5月16日、できるだけたくさんの医療資材と薬を積んだ車は、朝6時に首都ルサカを出発した。ニャンカンガまでの5時間の旅程うち、舗装された道や平坦な砂利道はほんの2時間ほど。その後は、車一台がようやく通れるほどのでこぼこ道・くねくね道、小川を渡る、など繰り返して、ようやくニャンカンガにたどりついた。途中、ヒッチハイクを求める村人たちに何度も何度も声をかけられた。茅葺屋根の家に暮らす人々の集落に、車を持っている家庭などほぼ皆無だ。公的な救急車要請のシステムもないし、もしあったとしても、ここまでたどり着けるかどうか。これでは、救急処置・手術が必要な子供がいたとしても、都心部の小児病院にはすぐには来られない、と行きの道すがら実感した。
この日のニャンカンガの外来患者さんは約90人だった。回ってきた処方箋をもとに、コンテナから薬を探して袋に詰める役割や、外来診察も担当させていただいた。
モバイルクリニックには、老若男女問わず、様々な主訴の患者さんが訪れた。長年患ってきた両側下肢静脈瘤による足の痛みを抱えて、はるばる歩いてモバイルクリニックまでやってきた60代女性。性感染症に悩む若い女性。マラリアに罹患した子供。その一人一人が、心の奥深くに刻まれるものだった。
今回の活動を通して、国際医療協力の現場を肌で実感することができた。
以上、決して華々しいとはいえない食料や薬剤の購入・車や人材の準備・事務作業から、実際の診療に至るまでの全てをマネジメントされている山元先生を心から尊敬します。診療後に、チーム全員で撮影した以下の写真は、一生の宝物になります。山元先生、本当にありがとうございました!